各地の声 「香川県詩人協会」二十五年の歩み——明石旅夫
各地の声
「香川県詩人協会」二十五年の歩み 明石旅夫
香川県は面積で日本一狭く、人口でも少い方から数えて六番か七番めの小さい県である。この県で詩人協会が二十五年存在してきた歴史、では少し大袈裟に思えたので「歩み」として覚書のようにまとめてみた。この作業が沈滞気味の活動に何らかの刺激になることを希っている。
◆結成準備会―一九九六年初夏、当時「四国詩人」の代表だった安藤雅郎さんから二度御案内を頂いて出席した。この二度の準備会で「香川県詩人協会」の名称、規約、役員等の骨子が決った。六、七名の出席者の中で自分は一番若輩だったので黙って拝聴していた。同人誌の枠を超えて、一般の詩の愛好者と共に集える詩の場を造るのが眼目であった。全員元気で実年齢より若く会場は熱気に充ちていた。
◆設立総会―一九九六年八月二十五日、出席者十八名で協会が発足した。初代会長の安藤さんは体調を崩して欠席した。私が司会と議長を務める変則的な総会は、全て提案通りに承認、議決された。準備に奔走された安藤会長は公的会合には出席出来ないままで他界された。
◆役員人事―会長代行・真辺博章。副会長・明石旅夫。理事長・大波一郎。
理事・八坂俊生他四名。監査・竹生淳、水野ひかる。顧問・衣更着信、塔和子、十国修。準備会で一番若輩の私が副会長に指名された時は違和感もあったが、安藤さんも私の扱いに苦慮されてのことと思い黙ってお受けした。
◆会員数―当初の十八名から数年で五十名を超した。その後高齢者の逝去と若い人の入会が減って会員数は激減した。現在は最盛時の半数に近くなっている。近年はベテランの入会者はいるが若い人がいない。
◆定期総会―コロナ禍で二回断念した以外は毎年四月の第二日曜日に開会して必要事項の報告、議案の採決を行い民主的運営が出来ているが、年々出席者が減っている。終了後に合評会、朗読会、ミニコンサートなど企画しているが、大成功にはならない。
◆理事会―必要に応じて開催。新企画の検討、情報交換、会報等について話し合い諸案の取り扱いを決めている。
◆会報―一九九六年十一月一日に第一号を明石の編集で発行。発行人はその時の会長になっている。不定期で現在六〇号迄発行。香川県詩集に次ぐ柱になっている。
◆香川県詩集―の発行。一九九七年六月十五日第一集を明石の担当で発行。参加者四十三名で一〇一頁。現在まで休刊もなく続いて丁度今二十五集を準備している。参加者は減ったが作品は充実している
◆主催行事(同一行事の回数略)
詩人協会として活動する行事のアンケートを実施。各種講演会の開催。十国修先生「ビルマ戦と日本語など」
真辺博章先生「現代詩ゼミナール」
大波一郎先生「郷土の詩人尾崎徳」
笹本正樹先生「北原白秋の恋愛と詩歌」
々「なつかしき香川の詩人達」
扶川茂先生「現代詩ゼミナール」
「香川県詩集」の出版記念会
壺井繁治生誕百年祭・大波一郎。役員四名で日本の銘詩混声朗読。大波一郎の朗読と白石ゆうみのピアノのコラボ。毎年の定期総会終了後に県詩集の合評会を開いた。金子みすゞの詩を役員が古着で朗読(写真)。詩集出版記念と各種受賞記念は立食パーティで祝った。山合いの一軒家の喫茶店で詩話会。香川県詩集の全作品を対象に全会員の投票で優秀賞を決めるコンテスト等。
◆後援・協賛行事―第十二回国民文化祭「現代詩大会」。高松市民文化祭
「現代詩大会」。日本詩人クラブ丸亀大会。さぬき文化祭「選者四名」。丸亀文化祭こどもの詩選者。丸亀市現代詩懇話会発足に協力。等。
◆総括―小さい県だが自然環境に恵まれている。災害も少い。一人当りの貯蓄額は長く二位をキープし、持ち家率も高い。道路の舗装率は大阪に抜かれる迄一位だった。こんな生き易い県からも詩人は出ている。残りのスペースがないので全国的に知られた詩人の名前だけ書く。森川義信、衣更着信、壺井繁治、赤山勇、塔和子、十国修、田中恭一郎、尾崎徳、大波一郎(敬称略)